2011-09-27

Alone in Kyoto 12

智積院を後にして、バスに飛び乗って向かう先は東福寺。

といっても東福寺は別棟がいくつもあって、
一概にどこへ行ったらいいのやら。

私が見たいのは、重森三玲の市松模様の「あれ」。
それにしても東福寺って臨済宗の大本山だけあって
でかすぎる!こんなにも大きい寺院とは知らなかったわー。

なんとなく瓦とか狛犬とかが気になりだしてきた。
旅行最終日だというのに!
狛犬専門の本、うっかり買っちゃいそうだ。

歩くことしばし数十分。
ものすごく趣のある小道にかかる、そうそう、この橋、この橋。
偃月橋!

を越えると・・・
やっと東福寺到着!

奈良の東大寺と興福寺から一字取って命名された
京都五山の第4位がここ。
上述のように重森三玲の庭が見たかったので
方丈だけの拝観券を購入。

有名なもうひとつの橋、通天橋を渡るには別料金。
いやぁ本当に寺社拝観って金がかかる贅沢な娯楽だ。

東福寺の御朱印は、係りのオバちゃん曰く
「僧侶が午前中だけ書く」とのこと。
というわけで、拝観している間に朱印帳を預けておく。

東福寺も例に漏れず、人がほとんどいなかった。
そうしてお目当てのこの庭を見ることができた。
市松模様の不思議な庭。北庭だけど、実は裏庭扱い。

昭和13年の作なんだけど、うーん、モダンですね。
苔と石で表現されています。

この旅で、金地院の庭、智積院の庭と見てきたけれど
これを採用している東福寺の審美眼も斬新だなぁと率直に思う。
やはり上述の二つの庭とは違うもんなぁ。
人がいないから、ついつい縁側に座ってボーっとしてしまった。
贅沢な時間の使い方だ。旅の醍醐味!

これも重森三玲作の東庭。
不思議な円柱。ちょっとゼビウスっぽいと思ったのは自分だけ?
枯山水とかってなんだか宇宙のように思えてきて
想像が尽きるまで、ずーっと見ていたくなる。

実はこの東庭は北斗七星を表しているんだとか。
庭園設計というのは全く未知の世界だけれど、
造形美術の最高峰かもしれないね。
単に美しさを超えた何かがこっそり潜んでいるのを
探し当てるのもまた妙技というか。

これは西庭。
こちらもゼビウス風。
巨大市松模様。
ちょっと真上から見てみたいなぁ。

そして南庭。
だけど、私は独特の円柱瓦に夢中だった。

それから手摺に刻まれている草のモチーフ。
こういうところについつい目が行ってしまう・・・。

御朱印が出来上がっていた。


僧侶が本気出して書くとこんな感じなんだろうか?
趣き、ありまくり。
いろいろな御朱印をもらったけれど、
これはかなり気に入った!

遠くに見える通天橋。
紅葉の季節なら、本当に格別な眺めなんだろうなぁ。
次は・・・やっぱり清水寺に行くかね。

2011-09-08

岡村ちゃんライブ参戦記 ㊦

18:30頃、新木場に着くと、なんだか人の活気に満ち溢れていた。
ドキドキが加速していく。

Studio Coastに入って、バーへ行くと
絶対カルアミルクとバーボンソーダがあると思っていたが
そんな物は微塵もなかった。
しょうがないのでハイネケンをそそくさと飲み干す。

一階のフロアの前方左になんとなく陣取る。
周囲は年齢層が高く、
なんとなく暖かな一体感に包まれていて
直感で今夜はいいライブになるなと思った。
そしてそれはその通りになった。

シェーンベルクだかストラヴィンスキーだかの
難解な不協和音の交響曲らしきSEが延々と流れ
ライブがスタート。

帳が下りた瞬間から、人が前にドドドーと押し寄せる。
私も釣られて前のほうに移動。
岡村ちゃん、グレアムコクソンめがねで登場。
みんな、どよめきつつも音の洪水に飲まれていく。

ライブは1曲目は超絶アレンジの「どぉなっちゃってるんだよ」
のっけから妙齢の男子女子がスパーク。
岡村ちゃん46歳なのに踊りまくり。
襟の詰まった濃いグレーのスーツにボルドーのシャツ。

パッと見、あれ?太った?背中広!
しかしながら、ものすごいオーラ、輝きが半端ない。
みんな恍惚の表情で岡村ちゃんの動きを追っている。
ライブを楽しみつつも岡村ちゃんを観察してみた。
なんとなく表情が堅い、そしてなんだか戸惑っているような印象。
目を少し伏せて、斜め下をみているような感じだった。
そして時折ヤベーといった、はにかんだ表情を浮かべていた。

2曲目「カルアミルク」うわああああ。
私の周りは、ほぼ泣いていた。
たしかにこのピアノのイントロだけで心臓を鷲掴みにされてしまう。
そしてびっくりしたのが、おぉ歌唱力!
思ったよりもぜんぜん落ちていない!

「あの頃の僕」が余計鮮明に蘇って
魔法のように、目の前に現れた。
そしてそれは魔法じゃなかった。奇跡だ。
私もちょっと涙腺が決壊しそうだったわ。

岡村ちゃんの表情も徐々に柔らかくなり、
あの流し目や上から目線が炸裂。
この人本当に目千両だなぁ。しみじみ追懐。
ダンスもかなり踊れているし、
才能の塊、天才という言葉すら手垢が付きすぎて形容しがたい。

それなのに自分ったらふとライブ中なのに
あぁ岡村ちゃんって
重い重い十字架を背負っているんだなぁと思ってしまった。
そういう眼差しで目の前の彼を見てしまうのは申し訳ないのだが。

ただそれも彼の宿命なんだろう。
音楽が彼を捉えて離さない。そしてそこから逃れられない。
だからクスリに走ったとも言えるだろうけれど

だけど、繰り返しになるが
本当に岡村ちゃん生きててよかった。
岡村ちゃんも何度も何度もありがとうと言い
頭を垂れてうっすら泣いているようにさえも見えた。
ステージを縦横無尽に駆け回り、踊り、歌い、
投げキッスを何度もして、ギターを弾き、ピアノを弾き
(ものすごく指が長くて綺麗なんだよなぁ)
客席を煽り、大笑いして、そして醒めない魔法を全員にかけた。
みんなが笑っていた。会場全体がものすごく暖かった。
そんな熱くて穏やかで言ってみれば歴史的な夜だった。
19年前の気持ちが蘇ってきた。まんま、かもしれない。

帰り、たまたま電車の隣に座った
岡村ちゃんのTシャツを着ていたお姉さんに話しかけた。
一人でライブに来ていてやっぱり20年位前に見たことがあるという。
「今夜はよかったですよね!」と言ったら
「そうですよね・・・」とそのお姉さんは少し目が潤んでいた。
二人で万感の思いというか、
ちょっと感動しすぎて言葉にならないですね、と言い
ふーっというため息というか・・・
そういう空気がなんとなく優しかった。
見ず知らずのお姉さん、ありがとう。
再演が20日にあるというけれど、
うーん行きたいが・・・このままで留めておくのもいいかなぁ。
来年もこのまま健康で生き続けてほしい、本当にたのんますよ・・・・。


Set list
どぉなっちゃってんだよ(アレンジバージョン)
カルアミルク
Punch
5モンキー
聖書
19
いじわる
ベジタブル(超アレンジ)
祈りの季節
だいすき
イケナイコトカイ
マシュマロハネムーン
セックス
だいすき
あのロン
カモン
友人のふり(弾き語りピアノ)
卒業写真(弾き語りピアノ)
Georgia on my mind(弾き語りピアノ)
君が代(弾き語りピアノ)
ドッグデイズ(一部だけ。ギター弾き語り)
Shining (君がスキだよ)(一部だけ。ギター弾き語り)
どうかしてるよ
Out of blue

岡村ちゃんライブ参戦記 ㊤

9月7日、岡村ちゃんこと岡村靖幸のライブに行ってきた。


なんと記憶を辿ってみたら(高校野球みたいだが)
19年ぶり3回目だった。
そりゃあ私も35の中年になるわけだ!

実を言うとこのライブは、のっけからスルーをしていた。
今年は氷室も布袋もXも復活ライブをして、
まったくどれにも食指は動かなかったのだが、
寧ろそんな「あの頃の音楽復活話」が出るたびに
岡村ちゃんのことは強く気にはなっていた。

岡村ちゃんのことを語るときに、
ややもすれば生涯もう外せない枕詞となってしまった
「覚せい剤で3度の逮捕」という事実は
今でも体に突き刺さっりっぱなしで抜けない。
当たり前なのだが衝撃過ぎて笑えないのである。

3度目のニュースを聞いたのは、
シンガポールに住んでいたときだった。
そのときに書いたmixiの日記(2008年2月)を今読み返していた。
こんな感じだった。以下転載。

「岡村ちゃんが捕まってからというもの
連日youtubeで彼の曲を聴いています。
多分、今シンガポールで一番岡村ちゃん聞いてる人間が自分w
いやぁもう、なんかね、正直3度目でしょ?!
暇だから裁判傍聴の記事とか読んだけど、
すごく不器用な人なんだなぁと同情した。
でも覚せい剤はイクナイ!
ちゃんとリハビリセンターに収監して更生しなくちゃなぁ。

自分は岡村ちゃん実は好きで
実際に全盛期のDATE(ライブ)も行ったことがある。
91年だったか92年だったか。
パルコだったかなNKホールだったかな?
それすらも覚えてないw2回行ったんだっけか?
だけどチケット取るのがすごく大変で、
朝並んだなぁー渋谷のSeed館のセゾンにw
あの頃ってそこと渋谷の109の所のぴあが取れる確立が
高くてさw必死に並んだことは覚えとる!

で、並んでたら
いかにもゲイって感じのお兄さんが話しかけてきて
靖幸がいかにすごいか、
なんていうのを延々語っていたのを思い出す。
peach Xmas最高よね、とか言ってたなw

それにしても昔好きで眩しく輝いていた人が
衰退していくほど悲しく辛いことはない。
たまにちらっとカジヒデキのHP見るんだけど
全然変わってなくて安心するもんなぁw彼、40歳だよ?! 」

***
なんとなく異国で岡村ちゃんを聞くのはシンパシー倍増だった。
その上当時は自分自身のことでもの凄く悩んでいたのもあって
彼の曲はそのままシンガポールの思い出の一部となっている。

「寂しくて悲しくてつらい事ばかりならば 諦めて構わない 大事なことはそんなんじゃない」
「好きだといえないくせして子供みたいに死ぬほど言ってもらいたがってる」
「どーなっちゃてんだよ 人生頑張ってんだよ一生懸命って素敵そうじゃん」
「平凡な自分が本当は悲しい」

これらの歌詞は今も自分を鼓舞するときに使う呪文だ。
文章を扱う仕事に今就いているせいか、
まじまじと聞き返して歌詞を反芻すると
改めて彼の放つその言語力、文字選択のチョイスが白眉だなぁと
感じずにはいられない。


と、まぁウダウダ書いたが、
ライブに行くと決意したのは、実を言うと9月に入ってからで
ぶーしゃかLOOPを見て、ものすごく懐かしくなってしまい
思わずヤフオクで落札してしまったのだ。
ただ心は複雑だった。単純に復活オメ!というのではなくて・・・
キツイ言い方なのだが、
「生きてるうちに(あと1回)会いたい」
これに尽きる。

死んだらおしまいなのである。
灰になってからじゃだめなのである。
葬儀に参列するのが最後なのもいやなのである。

オーバードーズ寸前だったのかどうかはわからないが、
結局岡村ちゃんは生きている。
それだけでうれしい。
だから会いに行きたかった。

私は、岡村ちゃんは和製プリンスじゃなくて、
和製ブライアン・ウィルソンだと思っている。
ドラック中毒だったときに無理やりやらされたコントとか
うつろな誕生日会とか、見るのはキツイのだが、
結局今現在なんだかんだで奇跡の復活をしているよなぁ、と。
双方、複雑なコードを操りながら
美しい曲をたくさん紡ぎだしているよなぁと。

そんなことを考えながら新木場にドキドキしながら向かった。

2011-09-05

Alone in Kyoto 11

養源院を後にして智積院へ。
どうしてもここは外せなかったので万感の思い。

前述の日記にも記したように、
この京都一人旅の目的は、早い話、
日本画を見たかったのです。
特に、長谷川等伯の作品が。

ここ数年、沢山の日本画・洋画を
有難い事に仕事を通じて見る機会に恵まれた。
当初、芸術の薀蓄などは専門家じゃないので難しいことは分からなかった。
しかし、感じることがすべて、というので語るのならば、
好きな絵や絵描きなどは飛躍的に増えた。
そこから、歴史を辿っていく面白さを覚え、現在に至る。

長谷川等伯の傑作である国宝「楓図」は智積院にあるので、
ドキドキしながら扉を開けた。この扉の向こうにあるのです。

入ってみたら、私だけ!
おおおお、国宝独り占めだよ!!!
金碧障壁画の「楓図」

もう30分くらいずーっと見惚れてしまった。

特に「桜図」は、等伯の息子で26歳で夭逝した久蔵の遺作。
どんな思いで等伯はこの絵を見ていたのだろう・・・

「松と葵の図」「松に秋草図」は等伯のお弟子さんたちが
仕上げたというが。

もともとこの智積院は、秀吉が息子の鶴松を3歳で亡くし、
弔いのために建立した寺院である。

目の前にある国宝と一人きりで対峙しながら
心に迫ってくるこの感じ、寂寥感とやらはなんなんだろう、
としばし考えていた。
震災のことなのか、心の中にあるちっぽけな悩みなのか。
けれど、そんな心と裏腹に
あまりにも素晴らしい芸術を堪能しなくては、
しないでどうするんだ、と思い直す。

たっぷり堪能しつくして、本殿に行く。

驚いた。誰もいなかった。





庭も方丈も独り占め。



檜作りの講堂の廊下から
五色幕越しに青空をボーッ眺めたり。
(透かし模様がきれいだなぁ)

悟りなのかなんなのか、
ちょっと元気出てきた。
神聖な空間だからか?でもどっちみちパワー回復。
あまりにも素晴らしいひととき。
帰り際に恒例の御朱印をもらう。


思わず等伯を一人で堪能してしまいました、と
御朱印書きのおじさんに言ったところ
「よかったなぁ、おねえさんのモンや!」
関西人のこういうテンポのいいところが好きなんだよねー。
東京から来たと言ったら、
お気の毒でしたというような言葉を掛けられたけど
どっちみち
「えろぉ、得しましたやんか、おねえさん」
とのこと。
やっぱ好きやねん!(byたかじん)

そこからバスに乗って次は東福寺へ。

2011-09-01

Alone in Kyoto 10

京都3日目。最終日。
そそくさと朝に身支度を整え、
チェックアウト。
荷物をフロントに預けてもらい街に繰り出す。
自分が京都にいて旅行している、という事実が
ものすごい開放感と共に高揚感もプラスされて
なんだかどこでも行けそうな風に思えてきた。
まず向かったのは、どうしても行きたかった智積院。
気合入りすぎて、到着が8時!
寺院って朝7時には開いていると思っていたから
とんだ肩透かしだったわー。(智積院の方丈は9時開館)

とりあえず本殿にお参り。朝日が眩しい。
しばしどうしようかと考えていて、寒いしなぁ
ふとデジカメ見たらSDカードを差し替えなくてはいけないことに気づく。

すぐ近くのハイアットに行き、
ロビーのふかふかソファーで悠々と差し替え完了。
あぁモーニングおいしそうだなぁ。
(新宿のハイアットに泊まったことあるけれど、
ここのモーニングは雰囲気といい最強だと思う)

そういえばこの辺って、
すぐ向かいが京博で、隣が三十三間堂。
と、なると養源院ってその向かいか。
養源院は、今大河でやっている「江」の墓があるんだっけな。
あ、そういえば俵屋宗達の白象もここにあったっけ・・・。
話のついでに行ってみるかー、ということで
3日目の最初の寺院拝観は、養源院となった。

境内は拝観自由ということだったので
とりあえず江とお市の方の墓に参拝。


あんまり盛り上がっていないわねw

養源院の受付のお兄さん(加瀬亮似)は
どうぞどうぞ中入ってください、とはんなり京都弁で
仰ってくださり、中に入る。
拝観客、私だけw 
なのにちゃんとテープレコーダーを携えたとガイドさんが説明してくださった。

養源院は、秀吉の側室、
淀殿(茶々)の父である浅井長政の供養の為に
立てられた寺院である。
淀殿の母はお市の方、妹は江、伯父さんは織田信長、と
最後は大坂夏の陣で自害、と
まぁこの辺の人間関係と歴史は、さんざんドラマでやっているので
知っている方も多いかとは思う。

自分も、歴史好きでもなんでもないけれど、
改めて「現場」へ赴くと、こう背筋がピンとするというか
時空を超えて今ここに自分がいるというのが不思議に思えてくる。
過去に生きていることの偉大さとでもいうのか。

そして養源院といえば血天井
関が原の戦いの前哨戦である伏見城の戦いで、
徳川派の鳥居元忠以下1000人が必死に城を守りながらも、
石田光成率いる豊臣派に攻められ最終的には自害をしてしまった。
そしてその武将達の遺体は、残暑の厳しい中約2ヶ月間放置。
弔いの為に、その床を養源院の天井に再利用しているのですが・・・

うぉーびっくり。
血糊がべったりだし、手型足型の跡とかはっきりくっきり!
霊感強い人だったら、倒れちゃうんじゃないの?ってくらい
生々しすぎます、ここ。
江の秀吉への憎しみをここに体現していると言われているらしいが・・・。

天井は血まみれ、で床はどうなの?というと
日光東照宮の眠り猫を作った左甚五郎作と言われている
「鶯床」歩くとキュッキュと音がします。
英語では「ナイチンゲールフロア (nightingale floor) 」って言うんだね。

そしてお目当ての俵屋宗達の杉戸絵。


養源院には彼の正当作品である松の襖絵もあるけれど、
この白象図と唐獅子図は、構図といいタッチといい、とても大胆。
国宝の「風神雷神図」といい、俵屋宗達は(鳥獣戯画と並び)
マンガ、アニメの祖なんて言ってもなんら不思議じゃない。
朝も早よから素晴らしいものを見させてもらったわ。
帰り際、拝観記念の絵葉書6枚セット(300円!)を購入。
加瀬亮(京都ヴァージョン)に、
俵屋宗達の白象が本当に圧倒されたわ!と伝えたら
じゃあ、象の絵葉書多めに入れときますわー!だと。
ヽ(*´∀`)ノ キャッホーイ!!
そんな感じでまたしても偶然から素敵な思い出が出来た。

そして本命の智積院へ。