パリに来たのは、前述のように20年ぶりなのだが、
それは某ラジオ番組の勝ち抜きクイズで10人勝ち抜くと
副賞としてヨーロッパ旅行が当たるというものだった。
1991年、15歳の頃。
まぁ毎晩そのクイズを聞いていて、
何でこんな問題わからないんだろう、
自分だったら楽勝なのに、と思っていた。
若さとというのは向こう見ずだ。
いざ応募してみたら、なんと出場できることになった。
そして・・・
自分は見事10人勝ち抜いて、
1992年の春にロンドン、ローマ、パリに行った。
初めての海外旅行がこれであり、
初めての地がロンドンで、大変なショックを受け、
いつかここに戻るんだ、と思い何度も英国に行った。
まぁ短期間だったが、住むことも叶った。マンチェ近郊だったが。
あまりにも英国一択なので、
フランスや欧州諸外国には目もくれなかった。
20年ぶりにこの地を訪れて
ほぼ記憶が薄れている前回の事を必死に思い出しながら
コンコルドの前を通ってシャンゼリゼの方を目指して歩いた。
川沿いを歩いて
(どうしてもセーヌ川沿いを歩きたくなってしまう)
アレクサンドル3世橋に到着した。
もし初めての海外旅行地がパリだったら、フランスだったら
きっとロンドンなんか英国なんかは目じゃなかっただろうなぁ、
この橋を見て強く思った。
Waterloo Sunsetよりも、この橋から夕日を見てみたい。
シャンゼリゼの方へ歩いていたら、銅像発見。
チャーチルじゃないか!なぜここに!
しかも足元には
We shall never surrender名文句の「絶対我々は降伏しない」と刻まれている。
フランスをナチスドイツから救った英国軍を讃えているんでしょうね。
しかもこの辺りの通りの名前が「AvenueWinston Churchill」でもある。
そのすぐ近くには実は
ルーズベルトもあった。(駅もある)
アメリカ合衆国の男・・・でいいの?
風邪薬を飲まなくちゃいけないので
(旅行前から体調があまりよくなかった)
とりあえずパンを買う。
日本のPAULは、
パスコ(敷島製パン)と聞いて以来
買うのを躊躇していたが、
さて本場ものは如何に?
それにしてもPAULは至る所にあったなぁ。
それにしても、自分がフランス語をしゃべっているのが
これまたおかしい。気恥ずかしいのが8割だが。
チャパタにモッツアレラチーズとトマトとバジルを挟んだもの。
普通においしかった。
遠くに凱正門。おぉ。
これがヴィトンの本店ですかー(棒読み)
草間 彌生さんはここにもいらっしゃった。
多くの人が写真を撮っていたけれど
本物と見紛うくらい精巧な作りだなぁ。
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